ゴルフクラブの歴史。


 ゴルフクラブの起源は羊飼いの杖だと言われている。
 スコットランドの羊飼いが、羊を追うための杖で小石を転がしてウサギの巣穴に入れたのがゴルフの起源だ、と言われている(現在ではこの説は怪しいとされているのだが)。当然ゴルフクラブの起源は彼らの持っていた杖だという事になるのである。
 その源初の段階を経て、ゴルフ専用として開発されたゴルフクラブは最初はどちらかと言えば現代のゴルフクラブよりもアイスホッケーのスティックに近いものであった。使い方もアイスホッケーに似ていたであろう。ボールを低く転がして行くのに適した形状であった。この頃はまだシャフトとヘッドが一体式で、ヘッドはごく小さく軽かった。
 ヘッドが大きくなるのはゴルフコースが長くなり、ロングヒットが必要になってきてからである。遠心力でボールを遠くに飛ばそうという目論見である。シャフトとヘッドが分かれたのもこの頃で、ヘッドはより硬い木を、シャフトはホイッピーな木を、それぞれ使い分けるようになったのである。強くボールを叩くようになったためにシャフトの折損が増え、修理が容易なようにヘッドを分離できるようにしたという理由も当然ある。
 シャフトがやや短くなったのもこの頃である。ロングヒットにはボールを高く飛ばす事が有利で、それにはアップライトスイングが適していると理解されてきたのである。ボールを飛ばすのはヘッドスピードであり、それには短く軽いクラブ(当時のシャフトは木なので重かった)が必要だったという理由も有る。
 アイアンクラブは当初、泥地やバンカー、わだち(当時のコースはいわゆる公共の野原だったのでそんなものがあった)から文字通りボールを掻き出すのために使われた。その形状はクラブと言うよりどちらかと言えばスコップに近かった。当時の製法は文字通りハンドフォージド(手鍛冶)である。必要に応じて様々なクラブが作られた。水溜まりからボールを打つためにフェースに水抜き穴が開いているクラブなどというものまである。もっとも、技術は稚拙で、しかも手作りのため非常に高価だった。
 この当時のボールは「フェザーリー」といって、牛か羊の皮でボールの形を作り、その中にシルクハット一杯分のアヒルの羽毛を詰め込むというものであった。このボールは性能的には非常に優れていたが、湿気に弱く、使い過ぎると破裂(!)した。なにより非常に高価であった。何しろ職人の手作りだったからである。現在の貨幣価値に換算すると一個1万円とかいう世界であった。この当時のゴルファーはロストボールを極端に恐れていた事であろう。
 このフェザーリーに取って代わったのが「ガッティ」と呼ばれるゴム樹脂を丸めただけのボールである。当り前であるがフェザーリーよりも非常に安価で、このボールの開発がゴルフの大衆化に大きく貢献した。
 しかしこのガッティ、新品状態だと表面がつるつるで、球筋が安定しなかった。しかしこれを使い込む事によって不思議な事に球筋が安定し、よく飛ぶようになる事が発見された。ボール表面に傷が付く事による整流効果が原因であった。ディンプルの発見である。
 ゴルフ用具はこの状態でアメリカに渡った。第一次世界大戦によって工業技術は飛躍的に進歩。これがゴルフクラブに大きな進歩を齎す事になった。
 まず現れたのがアイアンクラブの充実である。ロフト、ライ角の充実によって現在のアイアンクラブのもととなるセッティングが作られる。この時代には異常な種類のクラブが開発され、バックの中に数十本のアイアンを入れてプレーする者も現れた。プレーに使用できるクラブの本数が14本に規制されたのはこのせいである。
 その流れで登場するのがサンドウェッジである。アメリカのプロ、ジーン・サラゼンが開発したといわれるこのクラブはバンカーやグリーン回りでのプレーに革命を起した。ウェッジ自体はそれ程革命的な発想ではなかった(誰でも高い球を打つには大きなロフトのあるクラブが欲しいと考えるだろう)が、ソールにバウンスを付け、エクスプロージョンショットを完成させ、しかもそれを公表、専用クラブを発売したのは紛れも無くジーン・サラゼンの功績である。
 ボールにも革命が起こる。糸巻きボールの発明である。ゴムの芯に糸ゴムを厚く巻きつけ、表面をゴムでコーティングする(現在の野球のボールの原形でもある)。ガッティに比べて遥かに飛び、品質も安定していたこのボールは一気に広まり、ゴルフコースは拡張を余儀なくされた。ガッティよりもコントロール性に優れたこのボールの開発が、ゴルフ技術の進歩に与えた影響は多大なものがある。
 そして、最大の革命がスティールシャフトの開発である。それまで使われていたヒッコリーシャフト(木のむく)は撓りと捩じれが大きく、力のあるプレーヤーが思い切りひっぱたくとボールがどこへ飛ぶか分からなかった(しかも容易に折れた)。しかし、スティールシャフトはヒッコリーに比べて遥かに撓らず、捩じれなかった。パワーヒッターの時代の到来である。スティールシャフトの登場は、本格的な近代ゴルフの幕を開けると共に、ゴルフクラブの量産を可能にした。ゴルフクラブの工業製品化の始まりである。それがゴルフの大衆化に拍車を掛ける事になった。
 同時にゴルフコースは広く、長くなり、グリーンは早くなった。ドライバーをロングヒットし、アイアンで高い球を打つためにクラブの低重心化が進行。第二次世界大戦を経て、一気にゴルフクラブの製造技術も進歩。1960年代までに現在のゴルフクラブに繋がるいわゆるクラシッククラブが完成する。
 クラシッククラブは、パーシモンヘッド、フラットバックアイアンにスティールシャフトの組み合わせの完成形と言っても良いものである(精度について未だ改善の余地はあったが)。この時代はパーシモン(柿)の良質な材が手に入った最後の時代で、特に最高のウッドクラブが作られた。1990年代までプロゴルファーはこぞってこの時代のウッドクラブを使用していた。完成度の高さの現れである。
 さて、1980年代初頭まで、クラシッククラブの流れが続いたゴルフ界に突如四隻の黒船が来襲する。
 メタルヘッドとキャビティアイアンと2ピースボールとカーボンシャフトの登場である。
 メタルヘッドは、当初はアルミのむくで、ろくなものではなかった。それが、ステンレス中空式メタルヘッドの出現で一気に花開いたのである。
 なにしろ単純に飛距離が出た。これは、パーシモンドライバーではミスヒットが多すぎた初心者に顕著だった。スイートスポットがパーシモンに比べて僅かに広く、スイートスポットを外しても飛距離の減少率がパーシモンより少なかったからである。
 方向性にも優れていた。これは特にプロレベルで顕著だった。特にパワーヒッターはパーシモンのいわゆるギア効果によってボールの曲がり過ぎやふけ上がりに悩まされていたのだが、初期の小さ目のメタルヘッドはギア効果が少なかったのである。
 そして何よりパーシモンより安価だった(日本ではカーボンシャフトと組み合わされたために、そうでもなかったが)。このため、特にアマチュアに一気に広まっていったのである。
 しかし、プロがこぞって使ったかと言うとそうでもなかった。この時代の容積200cc以下のメタルヘッドはあまりにもパーシモンとは重心距離が違い過ぎたからである。重心距離はクラブヘッドをダウンスイングでターンさせるタイミングに影響する。つまり、スイングを変えなければならなかったのである。プロがメタルを本格的に使い出すのは容積が250ccを超え、重心距離がパーシモンに近付いたチタン時代に入ってからである。ちなみに、初期にメタルを使い出してしまったプロはかえってその後、ヘッドの大型化に付いていけなくて取り残されてしまうことになる。
 素材が比重の更に軽いチタンになると、ヘッドは飛躍的に大型化した。現在ではなんとメタル初期の2倍である400ccを超えている。内部構造や製法の工夫によって様々な特性を持ったドライバーが誕生している。しかし、ここまで行くと逆に様々な弊害があるために、プロは一部のプロを除いてあまり大きなチタンヘッドをまだ使用しない。しかし、いずれはプロもこのような超大型ヘッドに適応したスイングを編み出さなければならなくなることであろう。
 ピン社の創業者、カーステン・ソルハイムが生み出したキャビティアイアンは衝撃的であった。要するにアイアンの裏面を抉り、それをヘッド外周に分散させる事によってスイートスポットを増やすという発想は、何と言ってもアマチュアに手放しで歓迎された。スイートスポットに当たればボールは安定して飛ぶし、方向性にも優れる。そしてボールも上がる。ピン社の大成功を受けて他社も追従。キャビティアイアンは一気に主流に上り詰める事になる。現在では発売されるアイアンの9割がキャビティアイアンとなっている。ここには、フラットバックでは形状に変化が付け難くニューモデル増やし難いが、をキャビティアイアンならモデルごとに新たなコンセプトを打ち出し易いというメーカー側の事情もある。
 キャビティアイアンは初期のものの中には重心が高くなってしまってかえって難しくなったり打感に問題が有ってプロには使えないものがあったりしたが、現在では設計の工夫によってプロの使用にも耐えるものが発売されるようになっている。ただし、スイートスポットの拡大は、ボールを曲げたり高低を打ち分けたりする場合にはデメリットとなるので、プロの中には未だにフラットバックアイアンを使い続ける者も多い。
 2ピースボールは当初プロには不評だった。硬く、パーシモンドライバーを傷つける上にスピンが掛からないためアプローチがやり難かったからである。しかし、これもアマチュアには熱狂的に受けた。
 何しろ飛んだからである。しかも方向性に優れ、耐久性は糸巻きボールとは比較にならないレベルで高く、しかも安価。技術の進歩によってプロの使用に耐えるものが出来るとプロもこぞって使い出し、糸巻きボールは過去のものとなった。今や100%のプロが2ピース系(3ピース、4ピース含む)のボールを使っている。
 最後の革命はカーボンシャフトである。しかしこれの普及には時間が掛かった。
 それは高価だったからである。しかも、当初のものは捩じれが大きく、固いものは作れなかった。スティールシャフトが既に完成の域に達し、これを超えるものを作るのが容易ではなかったという事情もある。しかし、時代がカーボンシャフトに味方した。メタルヘッドの開発が進むと、どうしてもヘッドを大型化しなければならなくなったのである。そのためには全体の重量を抑えなければ振り切れないものが出来上がってしまう。それには軽量なシャフトが不可欠だったからである。カーボンシャフトはスティールシャフトよりも間違い無く軽量である。カーボンシャフトはメタルヘッドと共に世間に浸透していった。
 カーボンシャフトの軽量化とメタル、後にはチタンヘッドの大型化が進むと、シャフトが長くなり始めた。42.5インチから43インチが標準だったドライバーの長さはメタルヘッド初期には43.5インチ。メタルヘッド後期には44インチ。チタンヘッド初期には45インチ。現在では45.5インチから46インチに達している。クラブが長くなれば当然飛ぶようになるが、それには振り切れるようにするための軽量化とヘッドのぶれをカバーするだけのヘッドの大型化が必要である。技術の進歩がそれを可能にした。
 ちなみに、未だにプロにはスティールシャフト愛好者が多いが、これはプロの筋力がある程度の重いクラブを求めるからである。筋力のある人は重目のクラブの方がタイミングが取り易い。これはアイアンクラブでその傾向が顕著である。しかし、ドライバークラブに限ってはスティールシャフトを使うプロはほとんどいなくなった。これは軽いクラブで少しでも楽に飛ばしたいという発想によるものであろう。
 最後に、パターについて触れてみよう。パターは、そもそもボールを転がすためのクラブであるという性質上、創成期の頃と目的が変らない。未だにいわゆるL字型パターは現役である(古いもの好きの僕はこのタイプ愛用)。
 大きな転換期はいわゆるT字型と呼ばれるセンターシャフト式のパターが1920年代にルールー上認可された事である。これによって設計自由度が上がり、現在主流であるピン型やマレット型が生まれる事になる。特にピン型は、いわゆるキャビティアイアン誕生の先駈けとなったと言う意味で意義深い。ピン型を使う事で、ゴルファーは自分が今まで如何にスイートスポットを外してパットしていたのか気が付かされたのである。
 ゴルフコースが進化するに従って、グリーンは桁違いに早くなった。創成期のグリーンは現在の日本のフェアウェイよりも程度が悪かったであろう。ボビー・ジョーンズの頃でさえ現在のアメリカツアーのフェアウェイレベルであった(でも、日本の高麗グリーンよりは早いかもしれない)。現在のアメリカツアーのグリーンは…。コンクリート並みである(本当!)。グリーンが早くなるに従って、パターのロフトは立ち、バランスは重くなった。シャフトも短くなっている。これは、出来るだけ幅の狭いストロークでパッティングしたいからである。

 ここまで駆け足でクラブの歴史を振り返ってみた。ここに書いた以外にも様々な技術があり、人々の工夫があった。それも偏に「ボールを遠くへ飛ばしたい」「ボールを正確に目標に打ちたい」「何よりいいスコアで回りたい」というゴルファーの欲求が生み出したものである。
 現在、ゴルフクラブは高度な科学技術の結晶体と化し、しかも次々とニューモデルが発売されている。もしかしたら数年後には想像もつかないようなクラブが登場しているかもしれない。
 古いものが好きな僕の胸中はやや複雑であるのだが。





TOP